私の生き方

LIFE
 3月11日以降、この二カ月半、いろんなことを考え、そしていろんな人たちそして生き方を見てきました。
 
 当初は「自分に何が協力出来るか・・・」
 そして今は、広告のコピーではないですが「自分にできることをやろう・・・」
 
 遠くの知人が「逃げた方が良い」とか「情報操作で政府発表はあてにならない」・・・等々いろいろ言ってくれまして、心配してのことで有り難いことです。
 
 そんな中で私がもっとも影響を受けたのは、原発内、あるいは付近で働く、あるいは生きよう、として奮戦している人々です。
 自衛隊を始め、仕事でやっている人もいるでしょう。あるいは自分の仕事・生活を守ろうと退去せずに頑張っている方もいます。
 
 放射能の恐ろしさ、わかってないんじゃないの。そんな指摘もあるでしょう。
 わかっていて留まりたい、あるいは留まらざるをえない、仕事を全うするしかない。そんな気持ち 私の心に 痛い です。
 
 原発から130km離れた当地ですが、空気中の放射線量は0.2マイクロシーベルトと他の県内都市より若干高め、ですがあまり心配する数字だと思っておりません。
 
 ですが、知り合いのガイガーカウンターで見ると、住宅の縦樋の下や側溝の泥の中は4マイクロシーベルトと20倍になりました。これは福島の学校の校庭の土を入れ替える、とした基準値を上回ります。
 
 「風評被害に負けないで」現在栃木県の一大スローガンです。ですが、こうした「安全だ」と言われる数字でも報道されると、人によっては、「栃木産の野菜・牛乳は買わない」「日光へは遊びに行かない」「修学旅行などもってのほか」となりますね。
 
 この地「日光」は体験したことのない位危機的な状況です。つまり私たちも二次災害被害者となりました。勿論もっと大変な方は一杯いるでしょうが、こちらもピンチです。
 
 「自分たちの生活再建のために、何が出来るか」
 
 まだまだ模索が続きます。
 
 そんなわけで、この所ちょっと違う世界へ行っております。フィールドが変わりました。残りの人生で、地元にどれだけ貢献できるか、悩んで生きます。
 
 二度目で恐縮ですが・・・・・しばらくこのブログは休止といたします。
 
 御拝読ありがとうございました。
 
 自分の生きてきた場所がもっとも美しい
 
 
 

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