日光市避難所 事情

LIFE
 
 沿岸部から遠く離れた当日光市にも避難所がは開設されている。昨日の日曜日も仕事の打ち合わせや自宅の補強などの合間を縫って、お見舞いに出掛けた。
 
 場所は今市市の大沢体育館と今市の根室青少年スポーツセンター。この二か所で160名 程の方が避難されていた。津波の被害の方もいるようだが、多くは福島原発の二次災害による福島県沿岸部から避難してきた方だ。
 
 その内のお一人にお話を伺った。
 「足らないものは?」
 「スポーツセンターは、3食食事を出してくれるし、ベットに空調つきの部屋で、まったく快適で天国のようだ。初日避難した所は、ペットボトルの水とおにぎり一個だったから。」
 
 地元民が炊き出し、なんて噂を聞かないので、心配していたのだが、行政の対応により、とりあえずの生活に不自由はないようだ。実際多くの物資がまだ段ボール箱に入って積まれていた。
 
 「心配なことは?」
 「中学生以下の子供が3,40人いる。新学期までに戻れれば良いが。ここから地元の学校に行くことになるのか。またそうなったとしても、バラバラにわかれずに、まとまって同じ学校に通学させたい。」
 
 「政府に要望は?」
 「どれだけ待てば、帰れるのか、その基準を出して欲しい。何時になるのかわからなければ生活の設計が立てられない。」
 「でも原発の放射能を封じ込めなければ、政府も何時とは言えないのでは?」
 「20km圏内でもまだ残っている人は大勢いる。牛飼い農業者。自分たちも放射能が残っていようとも、それが基準値以内なら家に戻る。」
 
 とまあ、いろんな話を伺いました。
 
 岩手・宮城の知り合いは、今のところ、他に移住したいと言っている人は私の周りではおりません。また大津波がくるかもしれない・・・・・・のに。
 この避難所の方々も放射能汚染がほぼ確定的なのに、やはり自分の町に戻りたい、という方が多い・・・・そうです。
 
 私も、「もうここは住めない」と言われなければ、今の家から引っ越すことはないと思ってます。
 
 我が家の無辜なる山羊たちは、ようやく顔を出し始めた青草をむさぼるように食べています。
 私たちが逃げる時、この子たちはどうしましょうか?
 福島の牛飼いの人はたとえ、今日の牛乳が出荷できなくても、近い将来復活できる、と信じて。あるいは見殺しにできなくて 残っているのでしょう。
 
 牛もヤギも目の前の草を食うだけ、です。放射能なんか知りません。自分もまた、今年も畑の準備を進めます。大丈夫皆必死にやってくれている。この栃木から退避している方も大勢いるでしょうね。身を守る、ということは大切なことです。
 
 でも自分の住んでいる町に残りたい、と思っている方も大勢いるんですね。死ぬなら自宅で という気持ちわかります。
 避難されている方、復興工事従事者・消防・警察・自衛隊・東電関係者 みんな必死です。私はそれほど必死ではありませんが、自分の目前のこと地に足をつけてしっかりやっていこうと思いました。

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