古墳時代探訪つづき

LIFE

栃木県にも古墳はあるんですが。群馬県が突出していまして、万単位の古墳が存在していたようなのです。

それも時代とともに、形状が変わりそののち廃れるわけですが。仁徳天皇陵と伝承される古墳が世界遺産になりました。そしてこの地でも同じ形状の「前方後円墳」が形成されています。つまりこの時期北関東は都=ヤマトの支配下に入ったということなんですね。それはその後「神社」の形態にも現れてきます。

 

現在日本人にとって「神」は神社に居らっしゃります。全国一律の形になりました。同じ形の「鳥居」があり同じ形の「社」がありますね。

が・・・・神=神社=鳥居があるとこ  で誰が決めたの??? つまり神様がいる場所の形を作ったのがヤマト朝廷です。それが北海道もふくめて全国にある!ってこの時期にほぼ日本中に支配を完了してことになります。その後のクマソ征伐。そして東北地方の蝦夷征伐で、ヤマト朝廷の日本制覇が完成するわけです。

それ以前はいろんな「聖地」があったはずです。そんな聖地が現在も残っているのは、沖縄の離島位ですが・・・・。

否定でも、提案でもなく・・・・このあとほぼ1500年、日本において神様の居る所というのが、この古墳から神社やそして寺になっていくんですね。

 

すごく面白かったです今回の群馬遠征。

観音寺遺跡では後期の横穴式石室も見ること出来ました。

つい仕事上22トンの石をこの石室の上に設置するには・・・・「どうした段取りで・・・何人ぐらいの作業人数で・・・どんな道具を使って・・・・・・・・」って考えてしまうのが「監督」=コウダの癖です。

こちらの古墳上には後の時代に神社が据えられたみたいですが、御神体は、かつての為政者が葬られた石棺ですよ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました