古墳時代に行って参りました

LIFE

栃木県って、歴史的な記述が残るのは平安時代くらいからなんです。

が、南部には古墳もあり、またそのあとですが、薬師寺跡もあります。古墳時代からここはヤマト政権の支配エリアであったことが伺えます。

古墳でいえば、先に仁徳天皇陵と言われる古墳群が世界遺産に登録されましたが。北関東でも全長100m級の前方後円墳が多数存在しており・・・・・中央政権とどういう関係だったのよ、と歴史マニアから注目の群馬県に今日は行ってきました。

今月日曜日なしで働いてましたので、今日はオフにしました。それで前から見てみたかった前橋・高崎市辺りの古墳群を見に行ったのです。

 

いやあ・・・よかったです。重機もトラックもない中、こうした土を運ぶって全部人力ですから・・・・そのエネルギーを感じます。

どんな為政者がここに居たのだろう????歴史ロマンって奴ですか????

ま詳しくは全くわからないのですが・・・・・・

一つだけ薀蓄を・・・・古来の名称

栃木県は「しもつけのくに」 群馬は「こうつけのくに」

その原始は・・・・・・

「しものけのくに」と「かみのけのくに」

毛一族が居たいみたいです。

機内に次ぐくらい古墳が作られていた群馬県地方・・・・・。どんな豪族がどんな執政をしていたのか・・・・お隣我が栃木県との関係は・・・・・・興味はつきません。

が、ポンペイ火山噴火によって都市が一日で破壊されたように。群馬の「古代都市も榛名山の噴火により、火山灰に埋もれてしまったようなのです。

その結果遺跡が保存された利点もありますが・・・・・・歴史からあっという間に消えることになったのです。

 

お休みをいただきまして、出かけた群馬の古墳探訪。

面白かった!!!!です。都から相当離れた彼の地。金の装飾を施した祭事ようの靴が出土したり、当時都にあ負けていない都市・勢力が北関東にあったなんって・・・・・・・。

とても半日では見きれなかったので、また暇を見つけて散策してみようと思いました。

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