6人の遭難死者を出した今回の白馬岳。自分も近い所に行って遭難寸前になってしまった反省点を書いてみたい。
その1 天気の読み違え
天気予報は、長野北部は曇りだった。
が、3日夜のラジオでは、新潟県に大雨洪水注意報が出ていた。
多少雨が降っても、鑓温泉まではいけるだろう。もし晴れれば、翌日白馬鑓が岳に登頂。という予定だった。
入山口の猿倉から小日向の尾根まで2時間。そこへベースキャンプを張って、空荷で温泉までピストン。これが最低限の目標であり。翌日晴天であれば、白馬鑓が岳まで往復して下山。というシナリオだった。
しかし白馬は新潟に近く。天気の崩れは、想像以上。というか、自分の都合の良いように判断したのが失敗の1。
その2 装備の不備。
テントは冬用、冬用のフライシートを持参したのだが____。ペグと張り綱を忘れる。フライという雨よけシートは、テント本体と離れていなければ防水性がなくなる。普通の雨なら大過ないが___。冬なら裾を雪が固めれば,問題ない。しかし当日は雨。固めた雪はすぐに溶けていく。
風速30m以上の雨風でテントの防水機能は全くなくなってしまい、一晩中濡れた寝袋の中で過ごす事になり、低体温症寸前。致命なことだ。
その3 危機意識の欠如
温泉からの帰り道は、ずっと小雨だった。ずぶ濡れになったオーバーパンツ、手袋、帽子、靴下等等は。テント内で飯、というか酒を飲むのも億劫だと脱いで投げていた。さすがにジャケットだけは着ていたのだが__。この場合雪の方がまだ緊張感があったろう。雨で、明日は好天するはず、という思い込みがあったせいでそこを蔑ろにした。
寝袋は羽毛製。厳冬期でなければ、充分温かい。しかし濡れるとどうしようもない。その最後の防波堤が、完全防水のゴアテックスのシュラフカバー。たとえ、テント内が水没しようとも、これに包まっていれば、安眠できたはず_____。しかしテント内宴会のすえ、チャックも閉めずにそのまま寝入ってしまったから、午後9時風雨が強まったと、気がつき起きた時には、二人とも寝袋はずぶ濡れだった。
そんなこんなで、氷点下近い山で、ずぶ濡れの寝具に包まって朝を待つ夜の長く、寒かったことか。
烈風は凄まじく、カメカメ波。という具合に、ゴーーーーという轟音と共に山の上、あるいは大雪渓から烈風波が近づいてくるのがわかる。数分おきにやってくる烈風の波。テントの支柱は見事にしなり、寝ている顔まで当たる。
明るくなったらすぐ下山。そう決めていたが、その朝になるまで長かったこと。夜明け近くにさらに気温が下がっている。
午前5時。身体は冷えきってしまい、相棒は震えが止まらない。パンを食わせる。震えているうちはまだ良い、それが止まったら低体温症で、動けなくなる。あの世行きだ。
烈風の合間を縫って、テント撤収。が、氷水がたまったプラブーツ、そして手袋に、がかじかんで手足が入らない。
どうにか身支度を整え、荒天の白馬岳から逃げ帰ったのでした。
夏の沢登りも含めて、何度か命がけの危機を体験した仲間ですが___。彼にも私にも史上ワースト記録に列挙するタフな山行となりました。
まあ反省はあとに繋げることとして、今回は命あって良かったね、という結論にしましょう。
コメント
厳しい自然には万全の備えが必要なのですね。完全装備ならだいぶ違ったのかもしれないですね。
はい、その通りです。装備も気持ちがあってこそ。つい春だから、という慢心が致命的になります。