3週間ほど前、支援物資を集め始めていた頃。
会社の近くに住む、小学校時代の恩師が、物資と共に、チラシを持ってきた。
「私たちは相馬の人たちを応援しているの」と。
日光市民でも、福島県相馬市と縁があった、と知る人は少ない。旧今市市は、神奈川県小田原市と姉妹都市となっていた。それは二宮尊徳公の生誕と終焉の土地、という縁だ。
で、何故?相馬。
尊徳は幕府や各藩の依頼を受けて関東近隣各地で再興を行っている。彼の門下生に相馬藩士がおり、尊徳の指導によりやはり藩政が窮していた相馬藩は、窮地を脱したという。
尊徳が病を押して、最後の赴任地・日光神領に来て開墾や用水など様々な仕法を指導するわけであるが、一緒に来て実地指導していたのは、門下生の相馬藩士たちである。
そればかりか、再興なった相馬藩から、日光の再興のために、 資金援助や人夫援助が長期にわたって続けられた、という。
報徳仕法のおかげで、当地は、豊かな農村地帯となった。その陰には、相馬藩の援助なくしてはなりえなかった、という史実がある。
百数十年前の恩に報いるこそ、尊徳公の報徳思想そのものの実践。
当たり前に此処に暮らしているが、こうした史実がなければ、今の町があったかどうかすらわからない。自らの生さえも怪しい。
であるなら、相馬に少しでも恩返しをしたい、と私も思うのでありました。
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