こんなに働いた一週間って久しぶり。という感じでした。
これから一週間くらいかけて、岩手行きの報告を書いていこうと思います。ネットで協力頂いた方には報告書を明後日あたりに送れると思います。
月曜日から金曜日まで仕分け作業と発送作業に忙殺。もう木曜日午後と金曜日に届いたものは、帰ってからと割り切っていました。
ところが木曜日の夜の余震。夜中起こされてすぐに思ったのは、辿りつけるかどうか?。
朝起きてチェックすると、案の定高速道路が80kmにわたって通行止めでした。加えて東北のほとんどが停電とか・・・・・・・・・・・。食い物はともかく、燃料は片道分しかないから ね。
仕事の合間にネットでチェックするも改善遅く・・・・・・・。
同志も心配になって会社にやってきました。
彼が言うには・・・。
かつて停電で、高速閉鎖で、岩手の安比から福島の郡山まで夜一般道を走ったが21時間もかかった。信号のない4号線は怖くて走れないぞ!と脅す。
強気の私も、ビビる。
停電は夕方までに半減したが。肝心の宮城県北部・岩手県南部が今日中の復旧は微妙だと東北電力のインフォーメーションが。
東北道は、通行止め区間が減って来たが、ニュース映像では路肩がざっくり崩れている。
こりゃ今日中の復旧は無理、と判断した。
夕方までに結論を出す、と同志にいったがあっという間にその夕方。
電話入れる。
「めげてないかい?」
「全然! 行くんでしょ」
その一言で、私も覚悟を決めた。
本当は、一日待つか、あるいは私一人で行こうか、と思っていた。
岩手・前沢までは行ける。パーキングで車中泊。あとは日の出と共に一般道に一度降りて再始動する。そう計画を立てた。
土曜日の移動距離が長いので、約束の時間に着けるか、微妙だが、状況が改善することを願って「ギャンブルスタート」を切ることにする。
果たして
岩手の通行止めはそのままだったが、停電は直ったようで中尊寺パーキングエリアは電気がついていた。午後11時。本日の行動はここまで、とまずは乾杯。
明日の苦労を予想して、あまり深酒せずに、12時には消灯。
開けた朝は、雨が降っていた。6時20分出発。
と、すぐにICから降りるはずが・・・・・・バリケードも何も置いていない。開通している!。
見れば、崩れたのは上り線であり、下り線は道路補修が済んでいた。すごいなあ日本の高速道路も。
それで順調に走行できて約束の時間内9時15分には宮古市に到着したのでした。
まずはめでたし。めでたし。
つづく
写真は宮古市・鍬が埼地区
コメント
おつかれさまでした!無事のお帰り何よりです。ここにきてまたおおきな余震が増えてきましたね。宮古の写真、すさまじいばかりです。
長丁場の復興作業になりそうですが、息長くできることをしていきたいと思いました。
物資の配達やお手伝い、をちょっとだけしてきましたが。一番の目的は、自分の目で見ておきたかったのです。
現地の人と一緒に取り組めば、それこそ冷めやすい私でも、「息の長い」活動にも取り組めるでしょう。
おっしゃるように長い長い活動が求められている、と思いました。