列車で向かい 歩いて帰る 予定

LIFE

前述したように、今回の古道歩きは、超手抜き。これまでテント一式背負って歩いていたのとは真逆の「ハイキング」スタイルである。

もうそんな荷を背負ってなんて・・・・体力が・・・。というのが主な理由であるけど。

今回のコースは集落部がほとんどで、野営などするとかえって迷惑になる可能性があることもある。

コース日程も厳密に決めて臨む。

つまり一泊目の宿泊地は「熊野市」。ここが二日目に歩く七里御浜の北端でもあるのだが。ここの釣り客が使う駐車場に車をデポする。朝一番で駅に向かわず、前回踏破していない「鬼が城」岩場を歩き北上し、次の駅の「大泊駅」まで歩いて汽車に乗る。この時刻が6時50分だから1時間前に出発した。

鬼が城とはよく名付けたもので。本当に鬼が住んでそうな鬼界な雰囲気満載の岩場だ。

↑先の陸地と海との接点が和歌山県新宮市辺り。明日の夜はあそこに居るわけだが・・・・?????。

 

実際この上の半島上部に砦を構えていた豪族がいて、あの征夷大将軍「坂上田村麻呂」に成敗されたとか。

とにかくこの地は、5-8世紀位の神話のような、史実に裏打ちされていないような話が満載の地域なのだ。

ついでに書くけど。

日本サッカー協会のエンブレムはサッカーファンならご存じ。三本足のカラス「八咫烏」がシンボルになっている。これは大和朝廷を拓く神武天皇が九州から紀伊半島に上陸し畿内で拠点を作るにあたり、それを導いた伝説の鳥となっている。

明治期に初代日本サッカー協会の初代理事長だった人が、この地熊野の出身だった縁で制定された「八咫烏」が150年以上経った今でも協会の

エンブレムになっている。

 

さてJRである。実は前回歩きを打ち切って列車に乗って帰る、と決断したときに大変困ったのだ。

今思うのは、初めて乗る客にも「優しく」しろよ、JRということなのだ。どういうことかというと、紀勢線も赤字ローカル線だから都市部の駅以外大方が無人駅である。それは日光でも慣れているのだ。

 

しかし乗車方法がだいぶ違った。

つまり紀勢線はワンマン運転で、乗車駅(無人)で乗った時の発券を降車駅で運転手に見せて、所定の料金を払う、というシステムなのだが。無人駅での乗車口は一両目最後尾のドアのみから乗車しなければならないのだ。

これは知らないでホームで待って列車が到着してもドアが開かず・・・・・・・

え!!!焦っていると、運転手が手招きでもっと前のドアだよと指示する。そのドアまで野営道具満載のザック共々走って乗り込むまでの時間の長かったこと・・・・無人駅で私が乗り込むまで1分は列車を遅らせたことは間違いない。

そんなんで、印象よくない紀勢線ワンマン運転なのだが・・・・これも慣れればなんてことない。

隣の大泊駅から乗車し、3つ先の「仁木島駅」。二年前に挫折して雨の中乗車した駅に再び降り立つのだった。

乗ってしまえば20分だが、ほとんどの行程はトンネルは内であり、トンネル抜けたところが駅。

昔鉄路を作った人たちは、ほとんどトンネルを掘っていたのが紀勢線なのだ。

それは古道がその上の峠をまたいでいることの証明である。

初めてではないのでこれまでの経験から決して無理な工程でないとは思って設定しているのだが・・・・・・。

まったく山歩きなどしていないので・・・・・無事熊野市まで戻って来れますように、と願うこともこれまた本心なのだ。

6時50分発の列車がやってきた。乗り降りする客は私の実・・・・・(;^_^A。

つづく

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