蘇りの森

LIFE
 自分が仕事する会社の業務内容を、本業から現行のように変え始めて15年。その経営を担って8年になる。実は昨年来、壁に当たっていて仕事内容的にも、経営的にも、今一歩芳しくない。今年はさらに成績も内容も悪く結構ピンチというか、焦ってきているのだ。このままジリ貧になるのか、起死回生の方策はあるのか・・・・・。
 
 そんな中での改元。特別GW。思い切って休んだほうが何か・・・・・掴めるかも。最低限気が紛れ、リフレッシュするような気がして・・・・。
 
  かつてこのブログで、「山行は、単なる山登りでなく私にとって巡礼である」ということを書いた。年一回酸性雨の被害低減のため、白根山に炭を担ぎ上げている登山も含めて、山に登ることは、神への感謝・礼だけでなく、自分を見つめ直す、機会とも思っている。今回もそんな気持ちを心の隅において熊野古道歩破に出かける。

 

 このブログ長年付き合ってくれた方は気がついたであろうか??コウダがこの間混迷の只中にいた事を・・・・。
 
 熊野の神々は、コウダにリフレッシュどころか、さらに課題を投げてくだされた。
 
 1500年以上に渡って人々が詣で参じた熊野の神々。幾千万の人々が健康や幸せ・繁栄を願って通った道が縦横に巡っていた。その地域は、時に宿屋や茶店で賑わったこともあろう・・・また木材の産地としての賑わいもあったろう。
 
が、あるものは遺跡となり、離村となり廃道となった。時代の流れの中で変遷を続けている。
現代の主産業であろう山業継続も怪しくなってきている。広大な山は古道で維持されるのではなく、林業で維持されるべきもの、これが継続するのか・・・・わからない。
 
 世界遺産登録は、活性化に貢献していると思われる。それが地域経済再生につながるのか・・・・・わからない。
 
 缶ビール値段の話題を書いたが、総じて安い物価は助け合って共存していく地域経済の現れかも知れない。しかしどんな産業が地域を盛り上げ経営として継続していくのか・・・・・わからない。
 
 熊野三山はこの先も残っていくのだろう、しかしこの山中に住む人たちは、どう生きていくのだろう・・・・・・わからない。
 
 山の中なのに、いろんなものが見えてしまう感じてしまう。しかし・・・・長大な、際限ないんじゃないか、という山道は、考える時間を簡単に消し去る。「無」になって身体を動かし、苦痛にも音を上げず、歩き続けることだけが、今ここで生きている証となる。
 
自らの生き方、仕事の仕方の悩みを抱え、詣でた熊野。
 
「リフレッシュ」とはまた違った意味で、
 
熊野の神々は俗界で生き抜く示唆を与えてくれたのかもしれない。
 
 
ただ・・・・・・・・
今はそれがまだ見えない。

 

熊野は「蘇りの森」である、という。4,5日居たから蘇る、というのは虫が良すぎるかもしれないね。蘇るのか、否か?違うものに生まれ変わるか?今しばらく模索していきたいと思います。
                                    熊野古道顛末 おしまい
 

 

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました