さてこの田母沢御用邸。最初から現在の形であったわけではなく、変遷の末現在の形になったようです。
最初は事業家の別邸として作られ、その後紀州徳川藩の江戸屋敷を移築し増床。その後二度の大増築で現在に近い原型になったようです。
そのため、よく見ると、その建物ごとの作りが違うことがわかります。梁などの木質もちがうし、高さも若干違う。メジャーなどもって居ないので目分量ですが、畳の大きさも違うように見えました。
建物の中に、スロープも存在し、これは家同士をつなぎ合わせた部分かもしれません。
建物はいたるところにあの菊の紋章が使われておりまして、引き戸の取っ手にいたっても写真のように・・・・。
展示資料によりますと、梁の飾り金具の菊の紋章の下から、なんと「葵の紋章」が出てきたとか。
元々紀州家の建物だったからありうる話ですが、飾りそのものは残して、真ん中の「葵」の部分だけに「菊」をかぶせてごまかしてしまう、なんてお茶目な話ではないでしょうか。
一人でウケテしまいました。
もう一枚は、天皇謁見室。当然ここは絨毯敷きです。
当時の写真からすると、確かに同様のテクスチャーの絨毯がひかれているのですが・・・・なんかやっぱり違和感があるね・・・・。
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