究極の庭とは

LIFE

自宅敷地がイタズラに広い。その大部分は、最初から生えていた雑木林をそのまま残してある。

昔は「外構工事を仕事としている我が家のお父さん、自宅の庭は何時になったらできるのかしら・・・」と嫌味を言われたものだが。

 

こうした人間は了見というか見識が浅いのだ。

自宅に自然がないから、仕方なくて木を植えたり、岩を並べたり、池を作ったりしているのが「庭」なのだ。つまり本来の、究極の庭、というものは、自然そのものであるのが理想。

人工的に作っても、なかなか自然の力に追いつくものではない。

 

・パーゴラデッキにサンシェードが付いてておしゃれだって・・・ ウチの雑木の木陰の方が何倍も涼しくてメンテいらずだぞ、お金かかってないし。

・台風や嵐でも、風を防いでくれる樹齢70年からの雑木はそうは倒れない。どんな塀やフェンスより強固だ。

・朝からいろんな野鳥がさえずり、さながら室内五重奏楽団のよう。無料で毎朝演奏してくれるなんて他にある?

・真冬の枯れ木立越しに浮かぶ満月。絵画でも写真でも表現しきれない夜の陰影のディテール。絶景を窓越しに見られる幸せよ。

・春は桜の花びらが舞い、山菜が採れ、秋にはキノコ、そして紅葉が色づく。四季折々庭で発見や恵みが得られるのだ。

こんな庭、人間にはそうそう作れない、そろそろこのバリューに気づいてくれていると思う。

 

とはいっても、メンテはいる。やるのはもちろん私一人。今朝は下草刈。そして枯れ木が倒れてしまって・・・・・

チェンソーを会社にとりにいく。

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