昨日よりつづく
2.3年前に足尾・庚申山に登りました。南総里見八犬伝で犬飼現八が化け猫退治をした舞台です。付近の山々は、平安時代からつづく修験の聖地であります。また山頂直下の猿田彦神社(焼失で現存せず)は江戸から庚申詣で、人並みが消えることがなかったと言われております。日本百名山である皇海山(すかいざん)へは、群馬県側の林道崩落により、足尾から庚申山経由でしかルートがなく、登山道がある栃木県内の山としては、もっとも長く、険しいルートとなっており、健脚でも日帰りは困難です。
そんな1900-2100m級の山々が連なる県境山地。この山頂近くのコル(鞍部)に「六林班峠」の記載が地理院の地図にあります。ここも1800m位あるのですが索道はここを通って、現在国民宿舎「かじか荘」がある銀山平まで運ばれたようです。ここの標高が850m位なので何と標高差1000m近く。これは蔵王スキー場を上回る高低差なのです。
群馬側には、谷から尾根、尾根から谷へ索道が廻り、総延長は27km以上!!・・・・・。
人力のみで、山中に支柱(櫓)を組み鉄線を担ぎ上げ、櫓まで引っ張り上げる・・・・・・。本当に昔の人の体力と知恵に関心せざるを得ません。昨日の写真よく見ると、ワイヤーは長いままのようです。つまり百足のように息を合わせて山を登らねばなりません。ワイヤーはロープのように自由になりませんからこれで登るって考えられません。誰かが転ぶと大変なことになりそうです。物資は当時宇都宮につぐ人口があった足尾町からやはり索道を使って運ばれており、塩シャケやタラなどの魚も食していたとか。また索道は木材だけでなく人間も運んだとか。
家族もふくめた人口は5000人。小学校が2校、映画館もあったそうです。42年間で付近の木材を伐採しつくし、昭和14年に閉山、集落は離村となりました。
もちろん今では遺構しか残ってないのでしょうけど。訪れてみたくなりました。ちょっと前までは訪問ルートはあったようなのです。
しかしどうやら先に書いた林道崩落で、アプローチ手段が無くなってしまったようです。この林道かつて皇海山へ登った時に使いましたが、沢まで100m位の絶壁が続く道でして道路改修の見込み無し、と言われています。古道ファンとしては残念です。
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