先週のある日。会社から帰ると、妻が言う。
野鳥が勝手口のガラス窓に当って、外で死んでいる。早く捨ててくれ、と。
自転車置き場を兼ねた雨除けの屋根を掛けた、そのまた奥の勝手口の窓にぶつかるとは、どんな鳥か、と見てみると、小さめの鳩だった。
気の毒に、と思いながら、妻の目の届かぬ所へ移動する。
妻子に気の毒?だったのは、この後目にしたニュースである。
インフルエンザワクチン接種が何時になるかわからない、と主婦が行政の怠慢、と批判したコメントが流れ、アナウサーがそれを追随していた。
40歳代の男性など、はなからワクチンなど廻ってこないと思っているし、廻ってきてもしないだろう。
妊婦や乳児を持つ親の感情として、理解はする。でも何でもかんでも他人依存過ぎやしないかい。
耐震基準偽装。食品の産地偽装。賞味期限偽装・・・。勿論犯罪は論外だが、現代人の生活の中で、住・食・健康という生物が生きるにもっとも重要なことが、他人のサービスに依拠してしまっている現状を確認したいもの。
自分で設計し、監督した自宅には、地震で倒れようと人のせいにすることは無い。食べ物は畑をやっているといっても買う物も多い、賞味期限など目安にはするが、自分の五感で確かめて料理している。不幸にして重い病に罹患したとしても、天命と諦めるか、己の体力を信じるだけである。
あまり他人や行政のせいにして生きて居たくない。
そう思ったら、野生の血がたぎってきてしまった。
何年か前に、公園で死んでいた鳩を調理して子供たちに食べさせた大人がマスコミで叩かれていた。私は今でも批判されることではないはず、と思っている。
小さいとき、親類が狩猟をしていたから、よく野鳥を頂いた。子供の仕事は、その羽をむしって七輪であぶって残り毛を焼くことだった。親がそれを捌く。ウドンの汁にいれると鳩肉は美味かったことを思い出していた。
牧場で手伝いをしていた20歳代の時。屠場へ連れられて行った。自分が昨日まで餌をやっていた豚が、目の前で大量の血を流して捌かれ、解体されていく。血の海の中で豚の頭を運びながら、自分の口が開いたままであることに気がつく、が最後まで口を閉めることは出来なかった。
何処何処の銘柄肉が美味いんだよ、そんなことを言う方も、きっとしばらくは肉は食べられないだろう。そんな仕事があるから、そんな仕事をしなくてすむから、何も考えずに肉を買ってきて食べるだけ。
鳩を持ち込み、毛をむしり始めていた。腹から大量の種が出てきた。冬を越すために、こいつも必死に食べていたんだなあ。
鳩肉はうどんに入れられた。娘は知ってか知らずか、美味しいと食べていたが、妻は気色悪がった。35年ぶり位の野鳥の肉はことのほか美味かった。
人間は、こうやって他の命を食らって生きているんだよ。
コメント