永六輔さんが亡くなられました。
まだ私が20代前半だった時、東京で障害児関連の市民団体をお手伝いして居た時に、その団体の世話人になっていただきました。特定の団体の役職にはつかない、というポジションで活動されていたのですが。他の世話人(作家の灰谷健次郎氏・画家の長新太氏など)の要請もあり特別にということで、名前を連ねていただきました。
でも「私にはやることが一杯ある」ので共に活動はできないから、という約束でした。
そんなわけでおそらく、一回しか永さんとはお会いしてないのです。
当時アルバイト先の板金工場では毎日TBSラジオが流れておりまして、永さんの番組は日課でした。ラジオパーソナリティーだけでなく、作詞家、放送作家、作家・・・マルチプレーヤーだったけど、永さんファンなら皆知っているだろうけど、反骨心、というか意地の強い、やると決めたらやる江戸っ子気質だった。
そんなわけで永さんと何か一緒にやった、ことはないのだけど・・・・・。
世話人として会合には来れないが、代わりに毎月一回以上のペースで、事務局に永さんからハガキが届くのだ。消印は全国各地。ラジオの収録は一週間分、週一回まとめ録りと知った。その他の仕事以外は、東京にはいなかったようだ。じゃ何している?空き時間はすべて全国の福祉作業所や障害者・老人施設など回っていた。多くの福祉の現場で、「励まし、笑わせ、元気を配って」歩いていた。
多くは移動中の列車の中で書かれたハガキ。独特の文字、大体3.4行なんだけど、短い文にも信念の力と美しさがあり、額に入れて何度も読み返したい気分になったものだ。
「割り箸が悪い、って世の中になってしまって
福祉作業所の仕事がへっちゃいました」
こんな文が書かれていた。
ボランティアで全国回ってます、そんなことひけらかすわけでもなく、ラジオで、そして生の声で、全国の多くの人々に勇気と元気を届けて歩いた人生。それは自身が怪我等で車椅子に乗ることになった晩年まで続けられたという。
クールである。
不肖コウダ かくもありたいと思う。残りの半生少しでも足元に近づきたいと思う。
画像はTBSラジオ様より拝借しました
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