おてんのうさん

TOWN

「お天のうさん」と小さいころから呼んでましたが、先週その祭事が行われました。

私が小学6年生の時。神社のお祭りに、私の住む地区の6年生だけが早退できて「若い衆」として参加することが許されたのです。

集落内に大きな神社があるわけでもなく、未だにこの「お祭り」の意味というものが分かっていないのですが・・・。ちょうど50年前のこの祭りに参加した一日は今でも鮮明に覚えてます。

それは50年前の田舎というものは、極端に行事やイベントの類が少なく、夏と言えば、盆踊りとラジオ体操そして川遊び位しか思い出がないためです。

 

背の高い方から二人だけが、選ばれ袴を着せられました。刀を差した天狗役で家先を回って「悪霊退散!」と刀を振るう役です。これカッコ良いじゃん。

もう少し身長があれば・・・と悔しい思いをしました。もっとも前から4番目位の身長でしたから全く惜しく無く、その他大勢で神輿を担ぐ役に回されても不満はありませんでした。

子供神輿みたいな小さな神輿だったので、作業は大変ということもなく、逆に町内各所を回ってもせいぜい200mごと置きくらいだったので、「あれ、もう休憩ポイント」という感じで軽過ぎました。

今でいう「班単位」で巡る神輿のコースだったと思うのです。そこで記憶に残る「接待」が待ち受けていたのです。

今から50年前の栃木の片田舎の小学生ですよ。自由に使って良い、という小遣いをもらって子はほとんどなく・・・。せいぜい月に2回位今日は友達と駄菓子屋行くから、と50円位もらって過ごすのが普通でしたので、その神輿の滞留所での「接待」というものは12歳の子供には「初体験」の待遇だったのです。

だって

ジュース飲み放題、お菓子食べ放題だったのですから。

こんな良いことあんの??お祭り万歳!てな感じだったのですが・・・・・・・。

それが楽しかったのは2か所目まででした。

次もジュースとチョコ、煎餅・・・・・・。3か所目以降は、誰も手を付けなくなり・・・・・挙句コーラとサイダーの飲み過ぎで、ゲップが酷くなり、そのタイミングの余りの悪さ(良さ)に、笑いと脱力が重なり神輿を落とす、という大失態をしてしまい。大人から酷く叱られたのでした。

 

それで神輿の担ぎ手の接待品は持ち帰って、皆で山分けとなるのですが・・・・

当時はまだ缶ジュースとというものは普及の途中で、一般的には、ビンジュースだったのです。

だから神輿の行進が終わって、お土産に渡された袋には

お菓子はともかくビンジュースが8本位入っており、町の中心から1km位離れた私の家まで、「こんな重いもの。どうやって持ち帰るの???」と途方にくれたのです。

それから800円くらいだったと思いますが。現金ももらえました。

今ならジュース・菓子でなくて、全額現金の寄付だとおもいますけど。

当時親にも50円、よくて100円位の小遣いしかもらっていないのに、祭りの手伝いで800円!!これは感動でしたね。

 

水曜日会社にいたら、そのおてんのうさんの神輿と寄付を募る小学生が会社にやってきて・・・・・50年前前のこと思い出しました。会社のある地区はまだ小学生が居ります。

しかし

50年前私が生まれ育った集落は、この祭りまだ続いているのでしょうか?。当時は神輿の他、山車もあったんです。

平日ですから、引手は限られます。小学生低学年の子と親で動いてましたけど・・・・・現在ではどうなんでしょうか????。

 

 

先週の地方紙。なんと合併後の新日光市には高校が3つあったんですが、それが一校に統合されるとか・・。

日光市民は結構ショックを受けているようです。

ただ、前々から書いてますように、人口減少率県下ワーストだという、自覚が少ない日光市民なので、少しは危機感が増すかと思います。

 

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