初日快調に歩き・・・・・と昨日書いたけど。
日頃運動不足で、いきなり熊野古道歩きって、そんなに甘くない。13km位峠を上下したけれど全てが順調とは言えない。
例え荷物を軽減したことに加えて
身体ケア対策として、湿布薬を大量に持参してきたのだ。
年季(キャリア)があるのだよ私には古道歩きの・・・。
還暦すぎの身体には特に膝が・・・・痛むので歩いた後のケア、そこに集中的に、湿布を前から後ろから貼りまくりなのだ。
当然今年も初日のハイクを終えた後、車中泊の車の中で湿布薬を貼りまくった。
これで明日も大丈夫!!!と思ったが・・・・・。
次の日「お前 62歳の自分認識足りてねえな」と言われてしまう。
誰に?
熊野の神様 だと思う。きっと
二日目の朝。その日の終点である新宮という町=熊野速玉大社の近くの河川敷に停めた車で目覚めたとき。両足首の踝の上に多少の違和感があった。
二日目の距離は長い30km。が、アップダウンは少ない。これなら行けるはずだと思っての出発だった。
まずは昨日に続きJR移動。新宮駅から6時3分発に乗り、熊野市駅を目指す。
駅から先に紹介した海岸線の「浜街道」にでると最初に目にするのが「獅子岩」
本当に獅子してますよね。
雲も風雲急をつげ てないか?
「七里御浜」はその名の通り25km位あるらしいのだが、ほとんどが砂利で砂はほとんどない。こうした海岸線は珍しいと思うのだ。
さらに個々の近くには「那智黒」と呼ぶ囲碁石につかう真っ黒な石の産地がある。
そうした誰もが知っている銘石が多い、此処!
私が踏んでいる海岸に敷き詰められた砂利こそ「御浜砂利」と呼ばれている左官屋や左官材料屋には馴染みの砂利である。ここが主産地なので、その名をとって「御浜」と呼ばれている。
この砂利を使って「土間三和土」工法や「洗い出し」工法などという古の左官工法の材料とされてきた。
勿論「那智黒」↓も碁石だけでなく、左官や化粧砂利として使われている。
この近辺には、「伊勢砂利」↓というものもあって、基本錆色が入った御影砕石である。
やはり日本家屋もそうだけど、左官工法は京都の住まいを中心に発展してきたわけで。塗壁の色名も基本畿内で採れる土の色がその名前になっている。
似たような砂利に「大磯」というのがある。これも神奈川県の大磯海岸がルーツだ。
しかし
実際は
堤防・河口堰・さまざまな理由で砂利が採れなく、採ってはいけなくなっており。また国内人件費の高騰などの理由も加わり・・・・・こうした在来左官工法に必須だった砂利も、似たようなものを海外から輸入品が増えているのだ。もちろん左官工法自体が瀕死の状態・・・・・。
左官工法も左官材料も絶滅に瀕しております。
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