24日朝 私のおふくろが亡くなりました。88歳でした。
両親とも茨城県の出で、親父は筑波山の近く、おふくろは結城でした。
若い頃同じ結核の病棟で知り合った縁らしいです。
親父の実家は、全く貧乏な家で、高校も出てないほどでした。炭焼きや行商を10代からやって家族を支えたのです。
それが流れ流れて栃木で暮らすことになるわけですが・・・相当苦労したことでしょう。
戦争を挟んでの時代。日本中の皆が大変だったと思います。
一度諦めた命だから失うものは・・・・と両親が奮戦して起こした会社も食えるようになり・・・おまけに子宝に3人も恵まれて・・・・今の私が在ります。
人並みに食えるようになり、生活も安定してきた中で、もっとも心配をかけたのは反抗期になった長男である私の行動だったかもしれません。
しかし長い人生の中では一時のことだったかも。
数年前に実の姉の見舞いに母と3兄弟で一緒に出かけました。認知機能も怪しく2年後位に亡くなるのですが。
おふくろは、3人の子供たちがそれぞれに、本人やその子供たち(従兄弟)を気遣い励ましていたことが「立派に育ってくれて・・・」と帰りの車の中で涙ぐんでおりました。
後年は好きな山野草を庭に植え、四季の移ろいを短歌に詠み、そうした同人会参加や、歌集を何冊か出版して楽しげな晩生だったのかな?と想像しています。
昨年ガンが発覚したんですが、年齢的に治療は難しい、と診断されまして。以来半年余り、オヤジと妹が粉骨砕身介護を続けてくれましたが今朝他界しました。
きっと激痛もあったと思うのですが・・・・・全く口に出しませんでした。
最後も自宅で逝きたい、それに応えた家族に対して全く弱音を吐きませんでしたね。
最後の一週間は病院でしたが、本人の気持ちに最大限報えることができたと思います。
あとは安らかに天国に行って欲しいと思います。
関係諸氏の皆々様 ありがとうございました。
春はまだちょっと先の日光ですが、実家の庭には、蝋梅と福寿草が咲いておりました。
合掌
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