藩校サミット

CHAOS

何時ものことだが、勤労できることに感謝しつつ働く日23日も、その前の土日も仕事である。

しかし流石に疲れが溜まっていて、背中が痛くて・・・・夕方サウナ+マッサージへ行ってきた。私の自身に対するささやかな「勤労感謝」ご褒美。

さてその前の土曜日の話題。

話は大きく飛ぶが、私の母の出身は、茨城県結城市である。実家は結城紬の染物をやっていて、子供の時分は藍色に染まった反物を裏庭で干している風景を覚えている。しかし母の兄が亡くなると家業は継ぐ者がなく、子供たちは皆サラリーマンとなって、実家の建家そのものももはや存在しない。

もし現存しておれば、結城紬の一枚でも親戚価格で譲ってもらったかも・・・・とセコイ考えでいる。もっとも結城紬は親戚価格でも買えるか、どうか?の価格である。

其のくらいしか思い出はないのだが・・・・・・最近になって、実家の木村家は、結城藩の家老もやったことがある家柄だ、と言い始めた。藩政時代というのはもう150年以上前のことだから、家や苗字は残っていても、栄枯盛衰あって当たり前。実際私など便利屋稼業で、士族の雰囲気など微塵も残っていない。

しかし名家というのは、残っているところには残っているわけで。肥後藩主の末裔は、日本国の首相までやったし、現在の秋田県知事は、佐竹藩主の末裔である。

結城藩主だった水野家子孫も現存しているらしいのだが・・・。老後の不安どころか会社の存続の危機も拭えない私は、そんなことなど問題外の人生なのだ。しかしながら幕末のお家騒動で、どっちかに付いて詰め腹を切らされたらしい祖先を持つ母親は、数年前「主君と家臣の同窓会」的会合で名誉回復の進言というか宣言を行ったらしい。

以来水野家 主従復権となった母親には、イベントのお知らせが届く。

今回は栃木県の壬生町で開催された「藩校サミット」。江戸幕府の方針で近隣に大大名は置かないため、北関東には小藩しかない。結城も壬生も2万石程度の小藩であっても、士族の学習の機関はあったのだ。

全国からかつての「士族」が集まった集会。体力が衰えた母に替わって妹と妻が参加してきました。

徳川宗家の出席した集まりは、すごい熱気だったそうで、土曜日など帰ってきたのは22時すぎでした!。

次回の開催は、福山藩(広島県)だそうです。母に言わせれば、水野家は元々福山に居たらしく、うちの祖先は広島県人かも知れないよ、だってさ。

ま、ルーツも大切ですが、まずはこの地で、夜逃げしなように頑張らねば・・・・・・ねえ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました