猪垣 の遺構

LIFE

朝がやってきた。二日目。

昨日書いたように、もずくスープ雑炊で朝ごはん。

長時間歩くとまず膝回りが痛み出してくるようになって、それで夜も眠れない痛みになることがわかって、こうした縦走では、湿布薬を膝の上下、そしてふくろはぎに貼って寝るようにしている。それが奏功したのか、思ったより楽みたい・・・・・といっても絶好調というわけでもない・・・・・(^_^;)。

 

次の集落は賀田という街。一昨日の下見で酒屋があることを見ていたので、峠用にビールは一本買っておこう、なんて朝から卑しいこと・・・我ながら呆れる。昨晩の幕営地は岬の突端近くで、次の街はその湾の最奥のはずなんだが、古道は海岸線に近づかず、むしろ山の方に上がっていく。

今日一本目の峠「羽後峠」。秋田県の古名と同名なのは?????。

 

しかしここからが圧巻。ずっと「遺跡」が続くのだ。それは石だけで積み上げた石垣 「猪垣」(ししがき)という。文字通り「猪」「鹿」避けの囲いである。

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現在でも(でもというより、現代ではさらに)鹿・猪・猿は人の数よりも遥かに多いと思われる。

実際。今日朝の話。

昨日の幕営地から朝古道へ戻る階段部分。昨日なかった土が広範囲に掘り起こされていた。猪がミミズなどを攫った後である。私が寝ていたすぐ下で、猪は食事をとっていたわけだ。その後も鹿が目前を飛び跳ねて横切っていく。

↓地面が掘り起こされているのがわかるだろうか?

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昔の人にとって獣害は死活問題であったろう。まして現地は海はあっても田んぼはない。斜面で作れる茶・梅・ミカンなどに加えて石を積んでできるわずかな平地に野菜や麦を植えて命をつなげてきた。

この猪垣が相当高地(標高50m以上)まで繋がっていることがまず驚き、漁業が主だろうから水線近くに生活区があったと思うけど・・・・。南海地震を恐れて高地に住んだ???というよりも、それだけ宅地や畑が必要だったのだと思う。

猪垣は大体鹿も飛び越せない1.5m位はあって、山の斜面だからそれぞれが広くないがひと区画平均20-30坪。セメントなんかない時代だから石自体の座りで重なっている。だから下部の石はどれもが100kg以上ありそうで・・・この人力というか手間が如何程であったか!     と想像する。

 

しかし

古人の命をつないできたであろう猪垣に囲まれた棚田ならぬ棚畑 棚宅地 は現在まったく使われていない生活感の存在しない「遺跡」=密林になっている。

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これについてはまた後日書こうと思う。

 

朝8時だが、最初の集落「賀田」に到着。お目当ての酒屋へ寄って昼時の峠で一杯やる缶ビールとツマミを買って先を急ぐ。飲兵衛としては、夕食用も買い足したいところだが・・・・・・・・。

3日分の野営道具を背負って20km山道を歩いてみると・・・・。

若い時分なら三日目位から身体も慣れてきて軽くなって、ペースも早くなるんだよ。

という感じだが。日頃山歩きをしてない還暦飲兵衛オヤジですから・・・。

三日持たないんじゃない・・・という方が現実感があるのだ。これ以上荷は重くしてはならない!!という戒め

であって 貴重なビール350m缶一本!を買う。

 

次の峠は「曽根次郎坂 太郎坂」

ここに至るまでの賀田湾周りが「うるさかった」のだ。野鳥や鹿の鳴き声、風の音以外まったく異音がなかった山中なんですが、重機音が峠まで響いていたんです・・・・。

山育ちなんで初めて見るんですが。クレーンを内包した運搬船が、大型ダンプが運んでくる大岩を桟橋から船に積み込んでいるんですね。

港の拡張で、沖の防波堤を作るのか? と思ってましたが。後日列車で通ると船は消えており・・・つまり岩を運ぶのは遠方だったんです。

 

その曽根次郎坂 太郎坂が、この旅を左右することになるとは登るまでは思ってもいなかったのだ。

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つづく

 

 

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