ちょっと前に小平奈緒選手の記事を書いた。
生き方に影響を与えてくれたアスリートというのは他にもいるのだが、私実はもっとも好きな、というか影響を受けているのは、元ロッテのエース・村田兆治選手である。
その村田が先日亡くなった。
私的には「巨星落ちる」 というか・・・とにかくショックなのだ。
ストレートはべらぼうに早いが、コントロールが・・・イマイチ。
何よりも「マサカリ投法」と呼ばれた独特のフォームは、他人に矯正されることなく、彼のアイデンティティーとなった。ストレート・フォーク・スライダー 以外の球種はない。これだけで勝負してきた。
自我を通した野球人生は、通算成績215勝177敗 という結果にも現れている。
勝つことも、負けることも、スタイルを通しての結果なのだ。もう少し利口に修正すれば、もう少し勝率が上がったのかもしれないが、そんな仮定は意味をなさない。先発投手は完投してなんぼ・・・・・・・・。それが彼の美学だった。
一試合を複数の投手で繋ぎ、先発とて100球でお役御免、6回まで投げればOKという現代野球からすれば、前近代的な美学だろう。
当時「選手生命の終わり」と言われた利き腕肘の移植手術を受けたのだ。
このTJ手術は現代こそ、当たり前になっているのだが、当時は選手生命をかけるチャレンジだったのだ。
その賭けは成功となり、「カンバック賞」をいただいたように、見事な復活を遂げる。
今でも覚えているのは、復帰戦で、なんと玉数制限を医者のジョーブ博士に言われていたにも関わらず、監督の交代提案を却下して150球位投げて完投してしまったことだ。
で、結局3年近いブランクがあったけど生涯215勝という立派なキャリアをおさめている。
村田が多く人に評価され続けているのは、自分の投球スタイルを守り、ケガも同じ姿勢で乗り越え、生き方が「昭和生まれの明治人」と評される「意固地さ」「頑固さ」なのだろう。
ロッテが一時仙台を本拠地にしていたことがあって、仙台の知人は自宅のリビングに村田の大きなポスターを貼っていた。「村田は最高だ」という彼の気持ちはよくわかったし、私も同感だった。
しかしそうした一徹で不器用な生き方は、結局人生を短くすることに繋がったのかもしれない。
広島県 福山電波校出身でしたね。毛利家のおひざ元、武士的な人物多いのでしょうかね?
村田のような根性は鼻から持ち合わせていないけど、人生訓の人物が、(おそらく自死を選んだことに・・・)今後どんなふうに生きていけば良いのだろう?自分の人生に悩やんでいるコウダです。
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