末代に感謝されるということ

TOWN

ちょっと前にFacebookに書いた記事だけど。

自宅からもっとも近い「山」と名がつくのは、板橋城山。何度か書いているけど戦国時代の砦がありました。板橋というのは、東京の板橋区と一緒で、彼の地を治めていた板橋氏の一人「板橋将鑑親棟」が御屋形の北条氏に命ぜられてこの地の助っ人にやってきたのです。北条氏は最後に秀吉の軍門に下るわけですが、関東においては一大勢力、小田原城は難攻不落を誇っただけでなく、関東一円に配下の武将がおりました。

戦国末期 栃木県は、ちょうど西側半分 栃木市に皆川氏 鹿沼には壬生氏 そして日光山もその勢力でありまして、東側に位置する宇都宮氏と対峙しておりました。鹿沼と日光山をつなぐ戦略上の要地がここ板橋です。で10km南隣の小倉城とも、石垣等の遺構が残っております。

ここに住む前は、やはり10km南の猪倉に住んでいて、ここにも城がありましたが、敵対する宇都宮側の勢力でして猪倉側が落とされた、という記録があるそうです。

また徳川時代になってからも、東照宮造営のために、家康の親戚であろう松平某が送られ一時「板橋藩」が作られましたが、完成後廃藩になっております。

 

山麓から標高差150m時間で15分ですので、ハイキングするには物足りませんが、鍛錬に毎日登っている方もいるようです。

この城山の西側斜面の植林が3年前伐採されました。懇意にしている「大和木材」さん私有地で、自社建築のために材木を搬出したわけですが。関係性のない方は、山肌が丸裸になってしまって残念、というSNSへの書き込みもあったようです。

でも流石大和木材社長さん。判ってらっしゃる。

杉の植林に加えて、尾根伝いの登山道に、桜や楓、紫陽花など、四季折々楽しめる木々を補助金などを駆使して植林したのです。

10年くらい前に彼の営林の持論を聞いたことあります。

山の尾根にまで、植林しない方が良いんです。そのあたりは雑木の方が良い。スギヒノキより、根が張って山崩れしにくくなるし、保水性も高まるし、何よりも、落葉が肥料分やミネラル分の供給源になって植林にも良いんです。

もちろんハイカーには、気持ち良い山歩きになる副次効果もある。

その桜がやっと花を咲かせてきました。

麓から見えるようになるまでにまだ数年かかるかもしれません。

 

末代に

「大和木材の社長さんが令和元年に植えたんだよ。」そう伝承されるかもしれません。

地域の御屋形様の立場というものは、そうしたことなんだと思いました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました