私の家には立派な雛人形飾りがある。
長女そして次女誕生の際、義父母から頂いたものだ。以来毎年飾り付けている。
実は、当時のこと、思いがけない大きな荷物が届き、大そうびっくりした。そして同時に、狭い借家の何処に置いたり飾ったりするのよ、と大いに困惑したのだ。(義母さん御免なさい)
食う事に精一杯だった当時。人形なんかより美味い物のほうが良かった、何てまったく非礼なことを思っていたのだ。(本当に義母さん御免なさい)
私が、雛人形に好意を持っていないと、感じた妻は、毎年一人で雛人形を飾りつけ仕舞う。手伝ってくれとは一回も言わない。そのうちに成長した娘たちが、毎年母と一緒にするようになる。
その段になって、自分がいかに情けない親であったか、気付くのだ。
祖父母からの贈り物は高価なものだ。でもひな壇の数や価格は問題ではない。しかし職人の手がかかった上級な物である。それだから大事に飾りつけ、大事に仕舞う。
祖父母の孫の誕生と成長を祈る気持ちがそこにあり、孫たちは自分の成長と親や祖父母、ご先祖様からつながる自分の命を感じて感謝している。
小学生の時分の長女に、聞かれたことがある。
「何でキリスト教徒でもないのに、クリスマスお祝いするの?」
「クリスチャンではないけどね。家族みんな元気で無事にこの日を迎えられてよかったね、神様に感謝しましょうってお祝いするんだよ。キリストが神様じゃない人も自分の神様やご先祖様にお礼を言えば良いんだよ」
正月も、節句も記念日も誕生日もみんなそんな日なのだ。親や祖先や社会やお天道様・周りの人々に感謝の気持ちを忘れないように年何回もある。
教えたのは、私ではない。子供たちに教わったのが私の方なのだ。
コメント
感謝の気持ちって忘れがちになります。
それでいて彼氏には「あんたのお母さんでも家政婦でもないんだからね!」なんて求めてしまいます。
特別な日でも、祝い合う相手がいないからといって
何気なく過ごしてしまう事もありますが、大事ですよね。
月子さん。
人は皆、修行僧ではないので、四六時中緊張して気を使って生活することはできません。タマの日だから思いを確認出来るんですね。
家族とか同居人とかで、一緒の生活をする時には、自分が「しなければならないこと・したいこと」とお互いにはっきり言い合ったり、確認して行く方が良いと思ってます。
個人がやりたいことをやった上で、共同生活の不可欠の部分を補う。
考え方一つなのだが、その方がアクティブだよね。
「自分ばっかり好きなことして・・・私ばっかり犠牲に・・・」と考え出すと、ネガティブなるばかり。
私は程ほど好き勝手、程ほど家族奉仕してますので、家内平和です。
否、女房が人間出来ているせいかもしれないなあ?????。